数掛山城(かずけやまじょう)は、現在の京都府亀岡市本梅町西加舎(旧・丹波国桑田郡)にあった日本の城。

概要

半国山から東南2kmほどの地点にあり、標高538m、比高240mの尾根上に位置する。東に亀岡盆地、南に能勢方面が見渡せるが、城のある場所としては不自然とされる。

削平地には自然石が多く削平状態は悪いが、自然石の間を曲輪に上手く活用している。標高490mの地点に水場があり、城の南の谷間には虎渓谷(こけたに)千軒と呼ばれる中世の寺院跡がある。

城主は波多野氏または森氏とされているが、『丹波志桑田記』や『桑下漫録』は数掛山城主を波多野与兵衛とし、またこの周辺の上村荘は波多野与兵衛尉秀親が支配していた。天文22年(1553年)に三好長慶家臣の松永久秀・長頼兄弟らが「波多野与兵衛尉方城」(『細川両家記』)を攻め、秀親はその撃退に成功しているが、この城は数掛山城を指すものと考えられる。

波多野秀親の子孫が建てたという「波多野勘兵衛尉宗春墓碑」の碑文によると、明智光秀による丹波攻めの際に、数掛山城主(墓碑によると秀親)とその子らは亀山で自害させられたという。

脚注

外部リンク

  • “数掛山城跡”. 亀岡市公式ホームページ (2021年7月12日). 2022年1月4日閲覧。

日本三大山城 岩村城 天空の城 苗木城 YouTube

数掛山城

奈良县 日本最大最坚固的山城红叶远足之旅 ANA

ArtStation 山城概念

数掛山城