久貝 正方(くがい まさかた)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本、勘定頭。松平氏信の三男。母方の祖父・久貝正世の養子。通称は甚三郎、弥右衛門、忠左衛門。号は意閑(致仕後)。官位は従五位下・因幡守(元禄12年)。

略歴

延宝3年(1675年)より定火消を務め、同年布衣を着することを許される。天和2年(1682年)小川村(現東京都小平市)に抱屋敷を所有する(元禄8年(1695年)に売却)。貞享4年(1687年)持筒頭となる。元禄2年(1689年)領地に長尾陣屋(現大阪府枚方市、明治2年(1869年)上知まで同地を治める)を築く。元禄9年(1696年)23代火付盗賊改方頭となる。

元禄12年(1699年)1月11日から宝永2年(1705年)12月1日まで勘定奉行(元禄期までは勘定頭と呼ばれていた)を務め、道中奉行を兼帯した。元禄12年(1699年)1月13日、幕府より国絵図改正を担当するよう命を受ける。宝永2年(1705年)留守居役に転任。宝永7年(1710年)武蔵国比企郡および入間郡内において500石加増され計5500石となる。正徳2年(1712年)御側並、翌年御側となる。享保元年(1716年)徳川家継が没するとその任を解かれた。

享保3年(1718年)10月19日に致仕し、養子・正順に家督を譲る。享保4年(1719年)死去。享年72。墓所は下谷の向泉寺。

脚注

関連項目

  • 石灯籠切虎徹 - 旗本『久貝因幡守』が依頼して作刀されたという逸話がある。

幕末頃子供遊絵 子供遊お山の大将 ToMuCo Tokyo Museum Collection

正方集团,金华,龙腾(第2页)_大山谷图库

久貝:沖縄姓名

琉文21 » 2016年8月30日~9月4日 那覇市民ギャラリー「定点PRAYER トマト・久貝清次展」

久貝:沖縄姓名