勝間田氏(かつまたし、かつまたうじ)は日本の氏族の一つである。本貫を遠江国蓁原郡勝田(静岡県牧之原市)の勝間田川流域一帯とする。勝田、勝間、勝俣などの異表記もある。
歴史
出自については諸伝あり、藤原南家の工藤氏の系統とする説、桓武平氏の平良文の系統とする説などがある。横地氏と同族とも。
保元の乱(1156年)の際に源義朝勢の家人として「遠江国の勝田」として言及があり、古くから源氏にしたがってきた一族とみられる。鎌倉時代には勝間田城(牧之原市)に拠った。
室町時代には応永の乱(1399年)や永享の乱(1438年 - 1439年)では、室町幕府方の勢力として登場する。文明8年(1476年)に駿河国の今川義忠が遠江に進出すると、勝間田氏や横地氏は今川氏に抵抗して敗れ、滅亡したという。清浄寺が菩提寺と伝わる。
この後、残党は一族の勝間田修理之亮(伊野八郎)とともに富士山の東の裾野へ落ち延びた。そこで林野を拓いて土着し、「伊野」が転訛して「印野村」(現在の御殿場市印野、東富士演習場の隣接地)となったという。御殿場市周辺には異表記を含めた「カツマタ」姓が多い。
関連人物
- 勝田(かつまた)成長 - 鎌倉時代初期の御家人。文治2年(1186年)に玄蕃助に任じられた記録がある。勝田平三郎成長、勝田三郎、勝田平三とも。
- 勝間田長清(生没年不詳。藤原長清とも。) - 鎌倉時代後期の勝間田城城主。『夫木和歌抄』を編纂。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『静岡大百科事典』,静岡新聞社,1978年
- 『角川日本地名大辞典22 静岡県』,角川書店,1982
関連項目
- 横地氏 - 勝間田氏に近接する小笠郡小笠を本貫とした氏族。
- 相良氏 - 勝間田氏に隣接して榛原郡相良を本貫とした氏族。
- 石雲院 - 康正元年(1455年)開山。




