穂積 賀枯(ほづみ の かこ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・散位頭。名は賀祐(かう)とも記される。
経歴
桓武朝の延暦2年(783年)正月、大伴真麻呂・藤原雄友・紀田長らとともに、正六位上から従五位下に叙爵されている。同年2月、栄井道形の後任の主税頭に任命される。
同3年(784年)7月日、主税頭を石川宿奈麻呂と交替し、5月になくなった百済王利善の後任の散位頭に就任。以後の経歴は不明である。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 延暦2年(783年)正月16日:従五位下。2月25日:主税頭
- 延暦3年(784年)7月4日、散位頭
脚注
参考文献
- 『続日本紀』5 新日本古典文学大系16 岩波書店、1998年
- 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年
- 『日本古代氏族人名辞典』p581、坂本太郎・平野邦雄監修、吉川弘文館、1990年




